【浮世絵版元案内−「買物案内」からみる上方浮世絵−】
第93回企画展 2025年3月4日(火)〜2025年6月1日(日)
上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で出版されていた浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は、道頓堀の劇場を中心に上演されていた歌舞伎に出演する役者たちを描いた役者絵が多くを占めます。
役者絵は、今でいうところのブロマイドのような存在でありました。人気の役者たちが描かれた浮世絵は、役者のファンたちに、芝居を楽しんだ人たちに、地方へのお土産にとさまざまな人々に買い求められました。役者絵の販売は歌舞伎を上演する劇場ではなく、浮世絵を出版する版元が行っていました。
そこで今回の展示では、浮世絵「版元」に注目します。当時の商品購入の便利のために作られていた『浪華買物独案内』を参考に、「萬草紙本類おろし」に名を連ねた版元の役者絵を紹介します。役者たちの描かれた浮世絵から、当時の大阪の街並みを想像してご覧ください。

広貞 画『須磨都源平躑躅』
三代目中村芝翫(役名 熊谷次郎直実)
広貞 画『須磨都源平躑躅』
三代目中村芝翫(役名 熊谷次郎直実)
『買物案内』とは
この展示に用いている「買物案内」は天保3年刊『浪華買物独案内』※1 です。「買物案内」とは、各種の商店が取り扱う商品を品ごとにまとめた案内書で、扱う商品と屋号と大まかな住所が記されており、欲しい品がどこへ行けば売っているのかがわかるようになっています。大阪以外にも江戸や京都のものもあり、当時の人々が便利に使用していたことがうかがえます。
『浪華買物独案内』のなかでも、「書物 そうし 本」の項目に浮世絵の版元である「本屋清七」「綿屋喜『木)兵衛」「天満屋喜(木)兵衛」※2 が並んでいます。そこで、それぞれの版元が刊行した浮世絵や古地図、『浪華買物独案内』の住所をもとに、どの辺りで営業していたかを検証してみました。当時の大阪の街並みを想像しながら、どうぞご覧ください。
※1 大阪経済史料集成刊行委員会編「大阪経済史料集成第十一巻」(昭和52年刊)所収より
※2「綿屋喜兵衛」「天満屋喜兵衛」の「喜」の字が『浪華買物独案内』では「木」とある
天保の改革と版元
江戸時代後半から明治初期の1800年代を制作時期とする上方浮世絵は、天保の改革に大きな影響を受けます。天保12年(1841)から14年(1843)ごろ、老中水野忠邦によって行われた改革は、幕府の財政を立て直すため、倹約令とともに庶民の娯楽にも制限が加えられます。七代目市川團十郎には江戸十里追放という処罰が下され、浮世絵は役者を描くことを禁じられました。
大阪の浮世絵は役者絵がほとんどを占めることから、多くの版元は浮世絵出版からの撤退を余儀なくされます。改革の後、しばらくすると役者絵も再開されますが、天保の改革以前とは異なる版元たちが台頭してきます。
そのようななか、今回取り上げている「本屋清七」「綿屋喜(木)兵衛」「天満屋喜(木)兵衛」たちは、天保の改革以後も役者絵の出版をおこなっており、版元として改革を乗り越えたことがうかがえます。
その他の版元
上方浮世絵の版元は『買物案内』に掲載されるのはわずかであり、その経歴が不明な場合も多くあります。今後研究が進むことで、大阪での浮世絵出版の詳細が明らかになっていくことでしょう。