第88回企画展

【謎多き大阪の浮世絵師たち〜史料からみる上方浮世絵〜】
第88回企画展 2023年11月28日(火)〜2024年2月25日(日)

上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で出版されていた浮世絵を展示しています。北斎や広重に代表される江戸の浮世絵とは異なり、大阪の浮世絵は歌舞伎役者たちを描いた「役者絵」が多いことが特徴です。

近年、大阪の浮世絵師についての研究が進んでいるところではありますが、経歴の不明な絵師が多いのが現状です。また、専業ではなく兼業絵師であったとも言われ、中には数点しか確認されない寡作の絵師もおり、その経歴は謎に包まれています。その謎を解く鍵になるのが、文献史料の存在であるといえるでしょう。

そこで今回の展示では、浮世絵研究の典拠として最も有名な『浮世絵類考』に着目し、記述された浮世絵師について紹介します。展示する浮世絵の存在は、それを描いた絵師の存在を証明しています。大阪の絵師の描く役者の生き生きとした姿を、浮世絵でどうぞご覧ください。

芦国 画『絵本殿下茶屋聚』
二代目嵐吉三郎(人形や幸右衛門)


浮世絵類考とは
仲田勝之助 編、岩波文庫版『浮世絵類考』の「はしがき」には、

−「浮世絵類考」は浮世絵研究上唯一の典拠とせらるるものであって、何人も浮世絵研究の手がかりを得んとするに当たっては、必ず参考せざるべからざる文献である。–

とあり、「浮世絵類考」は、浮世絵師の経歴を調べる際に、基本的な史料です。
「浮世絵類考」の成立は、寛政2年(1790)ごろに大田南畝によってまとめられたもので、江戸時代後半から明治初期までに制作されていた上方浮世絵の絵師たちは、登場していません。しかし、「浮世絵類考」は無名翁こと渓斎英泉や斎藤月岑らによって加筆され、さらに「新増補浮世絵類考」等の諸書を網羅した仲田勝之助 編『浮世絵類考』には上方浮世絵の絵師たちの名も見られるようになります。
そこで、当館が所蔵する浮世絵の中から、仲田勝之助 編『浮世絵類考』に記述が加えられている大阪の浮世絵師を紹介します。数々の「浮世絵類考」の諸本を加えても大阪の絵師の記述は数名に限られていますが、史料に登場する古い例といえます。
なお、この展示では、岩波文庫版 仲田勝之助 編『浮世絵類考』岩波書店、1941年を参照しています。(引用の際には、常用漢字を使用しています)

芦国 Ashikuni
須賀蘭林斎の門人といわれる。芦郷や芦広、芦ゆきらをはじめ門人が多く、上方浮世絵の一派をなした。

重信 Shigenobu
北斎の門人で、北斎の養子となり、北斎の長女と結婚するがのちに離縁する。文政五年(1823)に来阪し九年まで滞在。大阪で役者絵や練り物などの制作を行う。大阪での門人には、柳斎重春、柳川雪信や国直らがいたとされる。

重春 Shigeharu
享和二年(1802)長崎の商家の生まれ。大阪へ出て修業し、滝川国広や柳川重信に師事したとされる。国広の門にいたとされる時期には、国重の名で活躍。文政九年(1827)ごろに重春と改めた。嘉永五年(1852)没。

国員 Kunikazu
歌川を名乗り、三代豊国の門かといわれる。江戸時代末の大阪の役者絵だけでなく、「浪花百景」などの風景画も手がける。

芳瀧 Yoshitaki
芳梅の門人で、江戸時代末から明治初期の大阪の役者絵を多く手がける。明治期に京都へ移住し、肉筆美人画で評価され、後に堺へ移住。門人には川崎巨水がいる。明治三十二年(1911)没

広信 Hironobu
広貞の門人で、江戸時代末から明治初期の大阪の役者絵を手がける。門人に二代目広信がいる。

芳雪 Yoshiyuki
芳梅の門人で、江戸時代末の大阪の役者絵だけでなく、「浪花百景」などの風景画も手がける。

芳梅 Yoshiume
国芳の門人。天保の改革以前の大判の役者絵を手がけた後、江戸へ出て国芳へ入門したとされる。門人に芳瀧や芳雪がおり、大阪での歌川国芳派を担った。


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