第79回企画展

【芝居と歴史のあいだ】
2021年7月20日(火)〜10月24日(日) 会期延長 11月28日(日)まで

上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で作られた浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は、歌舞伎芝居で活躍する役者たちを描いたものが多く、おもに道頓堀で上演された舞台の様子を見ることができます。

歌舞伎の演目は「時代物」と「世話物」に大別され、「時代物」では実在の人物に取材した芝居がおおくあります。「源義経」や源平の武将たちをはじめ、戦国時代に活躍した人物など、現代の時代劇にも取り上げられる歴史が人気芝居となっています。

そこで今回の展示では、歴史上の人物に取材した演目や、江戸時代におこった時事など、歴史をどのように芝居に取り入れているかに注目します。史実に基づく事実だけではなく、歌舞伎の芝居としての脚色の妙が「時代物」の楽しみ方の一つといえます。浮世絵に描かれた役者たちが、歴史をどのように演じているか、どうぞご覧ください。

春好画『勝鬨みばえ源氏』
嵐 吉三郎(熊坂長範)
市川 市紅(牛若丸)


義経伝説と判官贔屓
活躍がよく知られる。平治の乱で敗れた父義朝が謀反人となったことで、義経(幼名牛若丸)は鞍馬寺に預けられる。その後、平泉にて奥州藤原氏の庇護をうけ、治承寿永の乱の折、頼朝のもと源平の戦いへ身を投じている。しかし、戦功をめぐって頼朝の反感を買い、追討され平泉にて自害したとされている。

一ノ谷の合戦などの華々しい戦功とはうらはらに、兄頼朝との不和や非業の最期をとげる義経は、弱者に同情をよせる日本人の心情から英雄視され、「判官贔屓」へつながっていく。義経の生涯をしるす『義経記』には、武蔵坊弁慶との出会いや、鬼一法眼の兵書を手に入れる話などがおさめられ、芝居における義経イメージに大きく影響を与えている。

伝説に彩られた義経の姿は、歌舞伎芝居において悲劇の貴公子として美化され、『鬼一法眼三略巻』をはじめ『一ノ谷嫩軍記』や『義経千本桜』などに登場し、『勧進帳』の弁慶とともに人気芝居となっていくのである。

源頼政と鵺伝説
頼政は、保元の乱において義経の父義朝とともに後白河天皇側として戦ったが、平治の乱の際には義朝に従わず平清盛側についた。それにより、従三位に叙され、源三位とも称された。その後、平氏を討つべく以仁王と挙兵するが、宇治平等院の戦いにおいて戦死する。この頼政の敗死が、源平合戦へ導いていく。

平清盛全盛の時期、頼政は源氏として破格の出世をはたし、また歌人としても優れていた。『平家物語』には、頼政が帝を悩ます怪物を退治する説話が残されている。浮世絵に描かれる頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇という怪物「鵺」の姿は、『平家物語』から取られ、演目『頼政鵺物語』の元となっている。

和でも唐でもない
近松門左衛門作の演目『国性爺合戦』は、明が危機におちいった際、鄭成功が日本の徳川幕府に援兵をもとめたことを題材にしたものである。

鄭成功は、1624年に福建省出身の鄭芝龍と平戸出身の田川マツとの間に生まれる。七歳にして平戸から明へわたり、のちに明の国姓「朱」を賜ったことから、「国姓爺」と称された。清朝の台頭後、明の再興をかかげて戦いながら、台湾を占拠していたオランダを追放し、本拠地をおいている。1662年、病により三十九歳にて亡くなる。

人形浄瑠璃の脚本として作られた『国性爺合戦』は、十七ヶ月という長期公演を記録し、歌舞伎にも取り入れられ何度も上演される。中国人と日本人の間に生まれた鄭成功は、和(日本)でも唐(中国)でもない「和藤内」と脚色され、結末には実際には果たせなかった明の再興を描いている。

ミニコラム「虚実皮膜の論」
近松門左衛門は、江戸時代の浄瑠璃作者としてしられ、『曽根崎心中』や『女殺油地獄』など、現代でも上演される演目が多い。

穂積以貫の『難波土産』の中に、近松門左衛門から聞き書きした芸論が記るされ、「虚実皮膜の論」もその一つ。「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあつたものなり。」と、嘘ではあるが嘘でなく、本当ではあるが本当ではない、その現実と虚構のはざまに芸があることを示している。

時代や名前をおきかえる
時代物の中には、歴史上の人物が登場する場合がよく見られ、「源義経」や「源頼政」のほか、「菅原道真」なども『菅原伝授手習鑑』のモデルとして知られる。

しかし、赤穂浪士による吉良邸の討ち入り事件など、時事を芝居にすることは江戸幕府の批判につながるとして、避けられていた。そこで『仮名手本忠臣蔵』では、時代背景を過去の室町時代に移し、実際の事件には関係ないように配役の名前が置き換えられた。

豊臣秀吉の忠臣である加藤清正をモデルにした演目『八陣守護城』においても、豊臣家と徳川家を暗示させるため、時代を鎌倉時代にうつされている。また清正が毒殺されたという俗説から、主君を守るため毒酒を飲む趣向になっている。

『義経腰越状』は、徳川家康を頼朝・豊臣秀頼を義経になぞらえ、初演時には上演を禁止される場面があった。その後改作をかさね、後藤又兵衛をモデルとした五斗兵衛が中心となっている。

このように制限をうけながらも史実や時事をもとに、人々の心をとらえる脚色を加え、歴史上の人物を魅力的に演じる役者たちの連携は、現代にも通じる芝居の醍醐味といえる。