第55回企画展

兼る役者たち
2015年3月10日(火)〜6月7日(日)

上方浮世絵館では、おもに江戸時代の大阪で制作された浮世絵を展示しています。大阪で作られた浮世絵のほとんどは、道頓堀などの歌舞伎芝居に出演する役者たちが描かれた役者絵です。当館周辺は、浮世絵に描かれた役者たちがうみだす活況に満ちていたといえるでしょう。

歌舞伎が独特の演劇として位置づけられる要素の一つに、女性役をふくめすべての役を男性が演じる点があげられます。男性が女性を演じる女方が誕生し、その役柄への追求から日常生活においても女性として過ごした役者もいました。ところが、江戸時代後半ごろには、男女の役に関係なく役柄を演じ分けることができる“兼る”ことが評価されるようになります。

そこで今回の展示では、男女それぞれの役を一人の役者が演じることに注目します。役柄を演じ分けるという役者たちの追求によって、観客は役者の多様な演技を楽しむことができます。“兼る”役者たちの姿を、どうぞご覧ください。
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一人一役柄から“兼る”へ
出雲の阿国が創始した歌舞伎は、女歌舞伎・若衆歌舞伎を経て、男性がすべての役を演じるようになります。登場人物は、おもに立役、敵役、道化方、若女方、若衆方、花車方、親仁方、子役の役柄に分割され、役者は一つの役柄を専業することがほとんどでした。

ところが、役柄が性別や年齢および身分や職業によってさらに細かく分類されるようになり、立役から荒事や和事、敵役には公家悪や色悪、若女方には赤姫や世話女房などが派生します。分類が増えるにしたがって、一人一役柄の原則がくずれ、複数の役柄を“兼る”ことが評価されるようになります。

その“兼る”役者として最初に評価を受けたのが、三代目中村歌右衛門でした。歌右衛門は容姿にめぐまれなかったことから、演技の工夫によって人気を獲得した役者でした。“兼る”と称されることは、まさに演技力の高さの証明であったといえます。

歌右衛門のほかには、三代目坂東三津五郎や七代目市川団十郎、四代目中村歌右衛門や二代目尾上多見蔵らが“兼る”と称されました。

女方の立役
“兼る”役者が評価されるようになっても、やはり一人一役柄を貫く役者もありました。女性役のみを務める役者たちは真女方とよばれ、貞操や色気が失われることから悪女や老女さえも演じることはありませんでした。

本来演じるべき役柄にくわえて他の役柄をつとめることを【加役】と呼びます。女方が男性役を、立役が女性役を演じる場合があり、真女方が避ける役は立役が加役として演じるのが通例となっています。

しかし、ここで紹介する五代目岩井半四郎は、愛嬌のある容姿から娘役を得意とする女方でありながら、悪事をはたらく【悪婆】や【白井権八】を当たり役としています。また、前髪のある若衆役はまだ幼く柔らかい演技が必要なその役どころから、四代目嵐小六のように女方が演じることもありました。

男性が男性役を演じるという配役でありながら、通常は女性役を演じる女方が男性役を演じるという演出は、観客をよろこばせるものであったのではないでしょうか。