第66回企画展

【役者と俳名】
2017年12月5日(火)〜2018年3月4日(日)

上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で制作されていた浮世絵を展示しています。大阪でつくられた浮世絵は役者絵が多く、道頓堀を中心とした舞台で活躍する歌舞伎の役者たちの姿が描かれています。

役者たちはそれぞれ芸名のほかに、“屋号”という歌舞伎独特の名前を持ちます。歌舞伎役者たちは江戸時代には苗字が許されていなかったため、かわりに屋号を持ったといわれ、舞台上の役者へ観客が声をかける際には“屋号”がおもに使われます。

また、歌舞伎役者たちが教養を深め、贔屓との交流を持つために俳諧をたしなんだことから“俳名”を持つこともありました。“俳名”も代々受け継がれ、芸名として襲名される名跡となった場合もあります。

今回の展示では、役者たちの“俳名”に注目します。浮世絵に描かれた役者とともに、その姿に添えられた“賛”もぜひご覧ください。

第66回企画展

春好斎 北洲 画『夏祭浪花鑑』
一寸徳兵衛/初代市川鰕十郎(新升)団七九郎兵衛/三代目中村歌右衛門(芝翫)


“俳名”とは
俳名とは、歌舞伎役者の芸名とは別にもつ“通称”ともいえる名前です。もとは役者としての教養を深めるためにたしなんだ俳諧(句)をよむ際の名前をさす俳号でしたが、江戸時代後半には俳諧とは関わりがなくともつけられるようになります。

古くは初代市川団十郎が俳人から“才牛”という俳名を贈られたのがはじまりともいわれ、俳名は芸名同様に受け継がれてきました。市川団十郎家の“三升”“白猿”、尾上菊五郎家の“梅幸”、中村歌右衛門家の“芝翫”“梅玉”、などがあり、“俳名”として使われていたのが“芸名”として襲名されることもあります。

また役者を“芸名”で呼ぶのではなく、“屋号”と“俳名”で呼ぶことによって、歌舞伎の贔屓たちは自らを“通”であることを示すことができたのです。

役者絵と“賛”
大阪で浮世絵がつくられていた19世紀、役者たちは 歌舞伎贔屓の“通”な人々と交流をしていました。“通”な人々は文芸的な教養をもつ場合が多く、役者たちは俳諧などの趣味をつうじて人脈を広げていったと考えられます。

浮世絵のなかには注文によって摺られる“摺物”とよばれるものがあり、これらは費用をかけて特別につくられました。歌や句が載せられた豪華な“摺物”は、販売用の浮世絵とはことなり、文芸的なつながりを持つ一部の関係者に配られる非売品でした。

大阪の浮世絵師のなかには役者の贔屓でもある絵師も多く、“摺物”でなくとも“役者絵”のなかに賛が添えられ、人脈の広がりを知ることができます。役者に添えられた“句”には、役者自身の思いを伝えるだけでなく、歌舞伎人気を支える人々の姿をうかがうことができます。