【浮世絵でみる役者の化粧】
2017年3月7日(火)〜6月4日(日)
上方浮世絵館は、江戸時代の大阪で制作されていた浮世絵を展示する美術館です。大阪の浮世絵は、歌舞伎芝居に出演する役者たちを描いた役者絵がおおくを占めることが特徴です。当時の道頓堀を中心に上演されていた歌舞伎の一場面を、浮世絵でみることができます。
歌舞伎には男性がすべての役を演じるなどさまざまな約束事があり、それによって独自の世界観が表現されています。なかでも“隈取”と呼ばれる独特な化粧法があり、役柄によって色や形が分けられています。
そこで今回の展示では、浮世絵に描かれた役者たちの“化粧”に注目します。紅色の勇壮な“隈取”だけでなく、娘役から女房役まで演じわける女方の化粧など、浮世絵で紹介します。美しくありたいという現代にも通じる化粧の心を、ぜひ浮世絵でご覧ください。
隈取
歌舞伎の演目は、歴史をあつかう時代物と当時の町人世界をあつかう世話物に大きく分けられます。世話物の場合、役者の扮装は当時の人々の髪型や着物に準じますが、時代物の際、荒事のスケール感や役柄を誇張するために行われた化粧が“隈取”です。
赤色は、主に正義感にあふれた勇壮な役に用いられます。鯰隈のように半道敵や、平敵や端敵のような赤っ面にも使われますが、英雄役との違いは一目瞭然です。藍隈と呼ばれる青色は、『菅原伝授手習鑑』の藤原時平役のように大悪人役に用いられます。また茶色は、鬼や妖怪など人間以外の役の場合に使われました。
顔の筋肉や血管を強調し、役柄によって色が決まっているため、現在のように照明が十分でない劇場内でも、一目でその役がどのような役であったかがわかったことでしょう
紅の化粧“笹色紅”
隈取の化粧が歌舞伎独特の化粧法であるのに対し、女方の化粧は舞台用ではありますが、当時の女性たちの化粧に近いといえます。なかでも “笹色紅”と呼ばれる化粧を、役者たちもしていたことが浮世絵にみることができます。
“笹色紅”とは、下唇に紅を濃く重ねることで紅が玉虫色(緑色)のツヤが出ることをいいます。当時の紅は、紅花から抽出できる量が少ないことから、たいへん高価でした。その高価な紅を濃く使用することは、贅沢な化粧法であったといえます。
しかし、『都風俗化粧伝』(文化10年1813年刊)では、高価な紅を濃く重ねなくても“笹色紅”のように玉虫色のツヤが出るウラ技が紹介されており、女性の間で広く流行したことがうかがえます。
ここでは、美貌とたたえられた四代目嵐小六の姿を通して、“笹色紅”とともに役柄の違いによる化粧の変化をくらべてみてください。
役者紹介 四代目嵐小六(天明3年1783〜文政9年1826)
父は三代目嵐小六(初代嵐雛助)、兄に二代目嵐雛助、弟に三代目嵐雛助、五代目嵐小六をもつ役者一家にうまれる。寛政7年1795に初舞台をふみ、二代目嵐岩次郎、八代目嵐三右衛門、初代叶三右衛門、初代叶みんしの名を経て、文化14年1817に四代目嵐小六を襲名。
江戸の五代目岩井半四郎と東西の女方とならび称され、若女方として大上上吉の評価を獲得。浮世絵にも、憂いを含んだまなざしと紅の映える口元が特徴的な美形に描かれている。
しかし持病があったようで、手足の動作に不自由して舞台を退き、文政9年1826没。死絵には、文政九年丙戌年十一月十六日扇月庵湖陸居士行年四拾四歳と記されている。
眉とお歯黒
江戸時代の女性と現代の女性のメイクとがもっとも異なるのが“眉”と“お歯黒”でしょう。当時の女性は、未婚か既婚かあるいは武家か町人かが、着物や帯の結び方や髪の結い方で見分けられました。女方たちも演じる役によって、その衣装や鬘がかえられています。
さらに“眉”は剃り落すことによって、子供を出産した女性であるという印になっていました。結婚前や出産前の女性は、麦の黒穂や油煙をつかって眉を整えていました。その形は、『都風俗化粧伝』に、「眉毛のつくりかた色々あれども、顔の格好によりてつくりかたかわれり」と個々の顔にあわせた描き方をすすめています。
歯を黒く染める“お歯黒”は貞女の証とされ、おおくは結婚を機につけられました。五倍子粉(ふしこ)とよばれる粉と、鉄漿水(かねみず)とよばれる酢酸に鉄を溶かした染料を交互につけることで歯が黒く染められます。
これらの化粧は、明治時代をむかえると、来日した外国人に不評であったことから、政府から禁令が出され、次第に行われなくなっていきました。