第49回企画展

第49回【ここで会ったが百年目 仇討浮世絵】
2013年9月25日〜12月15日

江戸時代の大阪で上演された歌舞伎芝居のなかでも人気の高いものは、現代でも多く上演され、主君の仇を討つ赤穂浪士たちを題材にした「仮名手本忠臣蔵」などはその代表格といえます。

そこで今回の展示では、仇討ちを題材にした芝居に注目し、その浮世絵を特集します。仇討ちには、敵をさがす苦労や返り討ちの無情など、さまざまな悲劇がともないます。それでもなお、人気をほこる「仇討物」を、ぜひ浮世絵でご覧ください。

仇討ちとは
身内や主君などを殺した相手を討ち、恨みをはらすことで、敵討ちともいわれました。しかしその行為が、仇討ちとして認められなければ罪に問われ、仇討ちにあった側がさらに仇討ちを行うことは認められませんでした。

また、仇討ちはいわば決闘であるため、相手を討つはずが討たれてしまう場合もありました。

ここで紹介する「敵討崇禅寺馬場」は、生田伝八に兄弟を殺された遠城治左衛門と春藤幾八郎が、崇禅寺の馬場で敵を討とうとして、多くの助太刀を用意した生田伝八に討たれる芝居です。これを「返り討ち」とよび、当時は正当防衛として認められました。

このような敵討ちは、明治6年(1873)、明治政府によって禁止されました。

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春好斎 北洲 画「敵討崇禅寺馬場」

三大仇討物
仇討物とは敵討ちを題材にしたものをいい、謡曲をはじめとする芸能において、さまざまに登場します。なかでも曾我兄弟をあつかった「曾我物」のように、歌舞伎では初春狂言として定着するものもあり、江戸時代の人々に愛されるジャンルでありました。

また、「仮名手本忠臣蔵」の切腹した主君の無念をはらす家臣という設定は、武士道の美徳として芝居を盛り上げ、「仇討物」の人気に拍車をかけました。

ここで紹介するのは、三大仇討物として以上の「曾我物」「仮名手本忠臣蔵」と並び称される「伊賀越物」です。父を殺された渡辺志津馬が唐木政右衛門の助太刀を得て、敵の沢井股五郎を討つまでの物語で、なかでも「沼津」では、志津馬の恋人の父平作が沢井の行方を知る十兵衛(実は養子にだした平作の息子)から聞き出す場面は、いまでも人気の演目です。


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