【浮世絵のいろいろ〜あお篇〜】
2016年9月6日(火)〜12月4日(日)
上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で制作された浮世絵を展示しています。木版によって制作される浮世絵の魅力は、限られた色数でありながら、一枚の紙に豊かな色彩が広がっていることです。
浮世絵の制作には、基本となる墨をはじめ、植物性や鉱物性の絵の具、海外からもたらされた化学染料も使われました。とくに、「プルシアンブルー」とよばれる青色染料は、浮世絵を世界に広めた色です。
そこで、今回の展示では「浮世絵の色」のなかでも、「あお」に注目します。
「プルシアンブルー」などの絵の具を紹介するとともに、日本の「あお」にまつわる伝統的な色名を浮世絵で紹介します。「あお」が魅せる繊細な色を、ぜひご覧ください。寿陽堂とし国 画「雪国嫁威容」市川甚之助…蒲生結城之助
浮世絵の「あお」
浮世絵版画にみえる「あお」は、露草や藍からとれる植物性と、プルシャンブルーやベロ藍などと称される化学性の絵の具が使用されています。
露草からとれる「あお」は初期の錦絵から使用されましたが、光や酸素に弱く、色が退色し茶色へと変色しやすい絵の具です。現存する浮世絵において、露草の美しい「あお」はほとんど見られません。
「あお」が定着しない露草にかわって、藍からとれる「あお」が使われるようになります。藍から抽出した「あお」は、文政期(1814〜30)にはさらに改良されましたが、グラデーションをつけるぼかし摺りには不向きでした。
プルシャンブルー(通称:ベロ藍)は、1704年ドイツ・ベルリンにおいて発見された鉄を含む無機合成化合物で、浮世絵には天保期(1830〜45)に使われはじめます。水溶性でぼかし摺りに適していたことから、北斎の風景画などに多用され、浮世絵に風景版画の繁栄をもたらしました。
肉眼による「あお」の区別は難しいですが、時代が下がるにつれあざやかな「あお」が浮世絵をいろどっていきます。
「あお」の名前
日本の伝統的な感性は、花や樹木をはじめとする自然、四季おりおりの季節感がはぐくみました。その感性は美術や文学の分野だけでなく、日常の着物と帯の色や柄の合わせなどにも用いられています。
その色や柄の合わせの基本となる「いろ」には、日本独自の名前がつけられています。同じような色でも、微妙な違いを色分けし、豊かな感性で命名しました。袿(うちき)を重ね着した十二単のような襲の色目はその代表例です。
浮世絵が作られた江戸時代には、染織産業の技術向上により、新しい「あお」が考案され、古代からの「あお」にくわえ、さまざまな流行色が発信されていきます。
藍色
歌舞伎独特の化粧法隈取の「いろ」には意味があり、「あか」は正義感あふれる人物をしめし、藍隈とよばれる「あお」の隈取は公家悪などの敵役をしめす。
特別コーナー「役者の色」
歌舞伎役者は人気を獲得するため、自らの名前にちなんだ文様や色を考案しました。また、江戸時代には茶色や鼠色などの渋い色が「いき」とされ、役者たちは好みの色を衣装に用い、独自のカラーを打ち出しました。浮世絵は「役者の色」の流行に一役をかったといえるでしょう。
路考茶・・・二代目瀬川菊之丞が好んで使った茶色。三代や五代も踏襲した。
団十郎茶・・・柿色としても知られ、初代以降代々の市川家が用いた。
芝翫茶・・・三代目中村歌右衛門(俳号芝翫)好みの茶色。