【芝居を渡る船】
2019年3月5日(火)~6月2日(日)
上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で制作されていた浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は、歌舞伎の舞台に出演する役者たちを描いたものが多いことが特徴です。役者絵からは、当時の舞台の様子を知ることができます。
水の都ともよばれた大阪は堀川が網の目のようにめぐり、物流は堀川をすすむ船に担われ、大阪の経済をささえました。また、中座や角座のある道頓堀の芝居のそばには道頓堀川が流れています。芝居見物の足としても船がつかわれ、役者のお披露目を船で行うなど、大阪の芝居と船には深く関わりがあります。
そこで今回の展示では、船にまつわる芝居に注目します。芝居の中で船は、人や荷物を運ぶだけでなく、芝居のストーリーや登場人物の思いを乗せて進みます。浮世絵の中の船に、ぜひ乗船してみてください。
江戸時代の船
古来より中国をはじめ外国へ渡ってきた日本の船ですが、寛永期(1624~45)には自由な海外への渡航や交易が禁じられました。
その政策のなか、海に囲まれた島国である日本において、上方と江戸間を航行する菱垣廻船や樽船、日本海側の物資を運ぶ北前船など、弁才船と呼ばれる大型木造帆船が活躍していました。また、京都伏見と大阪をむすぶ淀川を運航する三十石船や、川遊びにも利用される屋形船、江戸の町では吉原へ向かう足としての猪牙船など、積荷や目的に合わせ大小さまざまな船がありました。
船上が舞台となる芝居は、探し求めた相手が乗る互いの船がすれ違う場面や海の荒波も加わっての立ち回りなど、物語のクライマックスを盛り上げます。
芝居にまつわる船
船上で繰り広げられる芝居は、旅立ちを意味することもあれば、別れを象徴する場合も多くあります。
「国性爺合戦」では、明国の再興をめざし長崎の平戸から中国へ向けて和藤内は出発していきます。「八陣守護城」では、加藤清正は毒を飲まされるも御座船で悠々と帰っていく場面があり、船によって主人公のストーリーが動き出します。
「俊寛」のように、主人公は船に乗らずに旅立ちを見送る悲しみもあれば、「妹背山婦女庭訓」のように自害した後に首だけが小舟で川を渡って嫁入りをするという悲劇をも乗せて運びます。
芝居における船は、まさに主人公の思いを運んでいるといえるでしょう。
船頭は櫂で立ち回る
落語「船徳」にもあるように、非力な若旦那が簡単に船を漕げるものではありません。また歌舞伎舞踊には「船頭物」とよばれる粋で威勢のいい船頭を演じる演目もあり、当時の船頭がいかに花形職業であったかがわかります。
浮世絵のなかでその船頭たちが持っているのが「櫂」とよばれる舵取りの道具です。また「櫓」を操る姿もありますが、「櫂」をつかっての立ち回りが多くみられます。
船乗り込みの賑わい
現代でも行われている船乗り込みは、江戸時代から続く風習であります。道頓堀の芝居小屋へ役者が初登場する、江戸から役者が帰阪するなどの特別な興行がある際に行われ、贔屓連中がスポンサーとなり、船でのお練りが盛大に行われました。
展示の図からは、川沿いは見物人が押し寄せ、役者の乗った船のほかに多くの船が道頓堀川を埋め尽くしている様子がみえます。歌舞伎人気の盛り上がりと、賑わいが伝わってきます。
大阪名所
江戸時代が終わり近代化されていく時代のなか、船も西洋式のものとなり「川口波止場」には蒸気船が描かれています。しかし「桜の宮より造幣局を望む」では屋形船が描かれており、引き続き親しまれていることがうかがえます。