【罪と罰】
2020年11月17日(火)〜2021年2月28日(日)
上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で制作された浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は役者絵が多く、道頓堀の歌舞伎で活躍した役者たちが描かれています。衣装を身に纏い役柄に扮する役者たちの気迫が、浮世絵から伝わります。
歌舞伎の演目には武家や町人などあらゆる身分や、老若男女が役柄として登場します。なかには主人公を追い詰める悪役もあり、その罪が罰せられる場面は痛快なストーリーとなります。しかし、悪事や罪を犯す役が全て悪役とは限りません。
そこで今回の展示では、芝居の筋に大きく関わる「罪」と「罰」について取り上げます。石川五右衛門は盗賊の役として有名ですが、芝居のなかではヒーローとなっている場合もあります。また、たとえ罰を受けようともその罪を犯さざるをえない葛藤には、法では裁けない物語があります。役者たちが演じた芝居の人物たちを、どうぞ「名裁き」してみてください。
盗賊石川五右衛門
ある盗賊が、文禄3年(1594)に京都三条河原で釜煎りの刑に処される。実在の石川五右衛門については、豊臣秀吉の命で行われたその刑の執行の記録が残るだけ。さまざまな諸説に彩られた五右衛門と、天下人へと出世した豊臣秀吉との対比は、恰好のライバル関係へと創作されていく。
五右衛門がうけた刑にちなみ、釜風呂を「五右衛門風呂」というように、『釜淵双級巴』などは、処刑場面がクライマックス。五右衛門は遊女滝川と夫婦となり先妻との間にいる子五郎市を引き取るが、滝川は刑が五郎市に及ばないようわざと冷たくあたり母のもとへ帰らせようとする。捕手に囲まれた五右衛門は五郎市を抱えて逃げるが捕らえられ、ともに釜煎りの刑となる。
五右衛門は実は明の皇帝の家臣宋蘇卿(そうそけい)の遺児で、養父は武智光秀、真柴久吉(秀吉)を仇として狙っているとする『金門五三桐』。「絶景かな、絶景かな」のセリフで知られる「楼門五三桐」はそのうちの一幕。このなかで、五右衛門の辞世の句とされる「石川や浜の真砂はつきるとも世に盗人の種はつきまじ」の歌は、久吉が詠んでいる。
他にも、五右衛門と此下当吉(秀吉)は少年時代を共に過ごす設定の『木下蔭狭間合戦』、宙吊りなどのケレンを加えた「艶競石川染」など、石川五右衛門は芝居の人気にともない人物像のスケールを広げていくのである。
殺し場の演出
殺人が行われる場面において、逃れようとする役と斬りかかる役がその動きを美しく表現する演出が行われること、またはその場面を殺し場と呼ぶ。
なかでも『夏祭浪花鑑』では、主人公の団七九郎兵衛が恩人を守るために、欲にくらんだ舅義平次をやむなく手にかける場面は、殺し場の代表例。にぎやかな祭囃子を背景に、団七と義平次の立ち回りや見得がつづく演出は、歌舞伎独特の様式美に彩られる。
人を殺める場面には、『四谷怪談』の浮世絵にもあるように、赤い血のりを使用した演出もみられる。お岩の流す赤い血は、妻を裏切った伊右衛門や毒薬をのませた伊右衛門の再婚先の家の非道な行いを鮮明に表現している。
ほかにも、『菅原伝授手習鑑』の東天紅の段では、菅丞相を暗殺のために連れ出そうとする直弥(宿弥)太郎と太郎父の計画を聞いた太郎妻立田が殺され、池に沈められる。のちにその罪が露見した太郎は立田の母覚寿の手によって成敗される。
凄惨な殺人の場面は、殺し場の演出や戸板返しなどの仕掛けや血のりによってエンターテイメントとなり、その罪が成敗されることによって観客は溜飲をさげることができるのである。
たとえ罰をうけようとも
『夏祭浪花鑑』において団七が舅をやむなく殺したように、それが法に背くとわかっていても、我が身を犠牲にして罪を犯す葛藤は、役柄や人物象を深く掘りさげる。
『仮名手本忠臣蔵』では、殿中においては刀を抜くことが禁止されているにも関わらず、武士の矜恃を傷つけられた塩谷判官(浅野内匠頭)は高師直(吉良上野介)を斬りつける。お軽と「色にふけったばっかりに」猟師へと落ちぶれた早野勘平は、舅を殺した盗賊の敵を討ったにも関わらず、舅の財布を持っていたころから切腹となる。また、主君の敵討ちとはいえ、討ち入りの罪を自らの命でつぐなう覚悟を大星由良之助(大石内蔵助)は背負っている。
『双蝶々曲輪日記』では、濡髪長五郎がひいき客の与五郎を助けるためにやむなく人を殺す。その追手から逃れるために実の母を頼るが、再婚した母の義理の息子は代官へと出世していた。濡髪を捕らえなければならないはずの代官は、濡髪が母の実の息子であると知ると、放生会にたとえて逃す。
また、『伊達娘恋緋鹿子』では、寺小姓吉三郎に恋をしたお七が再会を願うあまり、理由なく鳴らすことを禁じられている火の見櫓の半鐘をならしてしまう。『実秋佐倉賑』では、農民の窮状を訴えるために将軍へ直訴をし、訴状は受理されるが佐倉藤五郎(宗五郎)は処刑される。
それぞれ罪や葛藤だけをえがくのではなく、周囲の人々の支えや許しの結末があることが、その演目が長く上演されることにつながっているといえる。
みどころポイント
鶏は死体のそばで鳴く
東天紅の段では、暗殺計画のため判官の迎えより先に菅丞相をニセの迎えで連れ出すには、夜明けを知らせる鶏の鳴き声を早く聞かせることが要となります。太郎が鶏を大事そうに抱えているのはそのため。そこで、鶏を鳴かせるために使われたのが、鶏は死体のそばで鳴くという言い伝え。計画を聞かれた立田を殺し、その死を利用して鶏を鳴かせ、菅丞相をおびきだしたのでした。
石川五右衛門の鬘
石川五右衛門の髪型は、百日(ひゃくにち)あるいは大百(だいびゃく)と呼ばれます。月代(さかやき)の手入れをせずに百日おいた状態を表現して、盗賊などのアウトロー的な役に用いられます。大きく逆立った頭頂部の様子は、石川五右衛門の豪胆な人物像が視覚的に描かれているといえるでしょう。