【納涼 夏芝居】
2019年6月4日(火)〜9月1日(日)
上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で制作されていた浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は歌舞伎役者を描いたものか多く、舞台で熱演する役者たちの姿を見ることかできます。また芝居の背景となる景色も、四季折々の様子か豊かに表現されています。
現代の劇場は冷暖房か完備されており、いつも快適に鑑賞することかできます。しかし、江戸時代の歌舞伎小屋内の夏は暑く、客足も遠のく状態でした。そのため、夏にはさまざまな工夫 をこらして観客を呼び込みました。
そこで今回の展示では、暑い夏によく上演される芝居を取り上げます。怪談で背筋を凍らせてみたり、本当に水を使って涼を演出するなと、暑さを忘れさせる芝居の数々を、ぜひご覧ください。
夏芝居と怪談もの
「物の怪」が物語に登場したように、怨霊や幽霊か登場するストーリーは古来よりみられました。歌舞伎のストーリーにも亡霊なとか描かれ、怨霊となる「菅丞相」や「浅間物」とよばれる遊女奥州の亡霊なとか挙けられますか、江戸時代の後期には観客に恐怖を与える刺激的な演出か登場します。 その怪談物の大ヒット作か、三代目尾上菊五郎によって演じられた『東海道四谷怪談』です。
文政8年(1825)に初演され、毒を飲み顔か崩れ櫛を梳かせは髪か抜ける演出にくわえ、「戸板返し」なとの仕掛けや血に染まる様子は、浮世絵を見ているだけでもヒヤリとします。文政9年には菊五郎が来阪し、『いろは仮名四谷怪談』として大阪でも上演されました。
東海道四谷怪談
浪人中の民谷伊右衛門は、妻お岩の舅を殺し、産後の肥立ちか悪いお岩に代わり、お梅の婿に なって仕官しようとする。お岩はお梅親子に毒を飲まされ、顔か醜く崩れ髪は抜け落ち、死んでしまう。伊右衛門はお岩と小仏小平か不義をしたと偽り小平を殺し、二人を戸板に打ち付けて川に流す。伊右衛門はお梅と祝言を挙けるが、お岩の亡霊に見えたお梅とその父を斬る。
お岩の妹お袖には恋人佐藤与茂七がいるが、お袖に横恋慕する与茂七の家来直助に与茂七を殺される。お袖はそれを知らずに直助の妻となるが、与茂七ではなく別人か殺されたとわかり、また直助とお袖が兄妹であったと知り、直助は自害する。
美しいお岩の姿に惹かれるも、化け物に変わる夢に悩まされる伊右衛門は、ついには与茂七に討たれる。
夏祭浪花鑑
「夏祭浪花鑑」は、延享2年(1745)に堺の魚売りが長町裏で人を殺して処刑されたという、 実際にあった殺人事件を元に作られた芝居です。
題名に「夏」の文字か使われていることから、おもに夏に上演されます。大阪の夏の風情がふんだんに盛り込まれ、高津神社の祭囃子や登場人物たちの粋な浴衣姿は、暑さもまた演出になる 芝居といえます。恩人の息子とその恋人を助けるために、欲に目かくらんだ舅をやむなく殺す場面では、本当の水と泥を使用した殺人の立ち回りが行われ、芝居のクライマックスシーンとなっています。
団七九郎兵衛は恩人の息子磯之丞を助け、一寸徳兵衛とも義兄弟の約束を交わす。磯之丞には 道具屋への奉公を世話するが、琴浦という恋人がありながら娘おなかと恋仲になる。琴浦に横恋慕する男の金に目が眩んだ団七の舅義平次は、琴浦を連れ出し報酬を得ようとする。義平次を止めようと団七は追いかけ、長町裏はずみで殺してしまう。
夏芝居の工夫
江戸時代の歌舞伎役者たちは、劇場と一年契約をむすぶ場合が多く、夏場は客足が遠のくことから主要な役者は地方公演に出かけたり、休暇を取るなぞしていました。そこで劇場は、普段は 脇役の役者か研鑽する興行をし、安価に提供するとともに、若手の登竜門としても機能していました。
また、本当に水を使う本水の演出や早替り・宙乗りなどケレン味あふれる芝居や、夏の季節感 がよく出ている芝居がおこなわれ、涼とともに観客を呼び込む工夫がなされました。
夏のイベント「ねりもの」
大阪には当時の三大遊郭の一つ「新町」があり、道頓堀の芝居街と同様に賑わいをみせていま した。(参照『摂津名所図会』)遊郭といえば「花魁道中」が有名ですが、遊郭も夏場は客足の遠のく季節でした。
そこで、ふだんははなやかな着物に身を包む女性たちが、さまざまな仮装をして行列を行ったのが「ねりもの」です。女性たちの姿を一目見ようと多くの人があつまり、その仮装は浮世絵に描かれました。
夏のイベント「夕涼み」
江戸時代の四条河原町は、芝居小屋や見世物小屋が並び、人々の歓楽街として賑わっていました。夏には夕涼みを行う場所として、お茶屋などが鴨川の河原や中洲へ床几をだしていました。 (参照『摂津名所図会』)