第68回企画展

【浮世絵動物演〜芝居のなかの動物たち〜】
2018年6月5日(火)〜9月2日(日)

上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で作られた浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は、歌舞伎役者を描いた役者絵が多いのが特徴です。役者絵には、役者が芝居を演じる姿や、歌舞伎独特の見得をきる姿が描かれています。

歌舞伎芝居は、女性役もすべて男性のみで演じられます。なかには人間ではない役もあり、『芦屋道満大内鑑』の“葛の葉”のようにキツネが化けている役があげられます。また『仮名手本忠臣蔵』の“イノシシ”のように、動物がストーリーにかかせない役である場合も少なくありません。

そこで今回の展示は、芝居に登場する動物たちがテーマです。時代物に登場する武将にかかせない馬や、登場人物が妖術によって変身する鼠まで、芝居のなかで演技する動物たちに注目しました。愛らしい動物たちの演技を、どうぞお楽しみください。

国広 画『日本歌竹取物語』

国広 画『日本歌竹取物語』


芝居のなかの動物たち
舞台には、さまざまな動物が登場します。芝居の進行に合わせて登場するため、実際に本物の動物が使われることはなく、牛や馬など人間がその姿に扮装して演じる場合と、小道具を操る場合があげられます。

馬では、二人の足役が胴体をした道具の中に入り、実際に役者を乗せて動くものと、「ほにほろ」とよばれる馬の頭部を腰につけ、役者の足が馬の足を兼ねるものとがあります。「ほにほろ」はおもに子役が「遠見[1]」の際に用いられます。

また、長い棒の先に蝶や鳥などの小道具としての動物をつけ、黒衣[2]後見[3]が本物のように操ってみせることを「差金」といいます。
その姿から、「差金」は人をかげからあやつる意味にも用いられるようになったといわれます。

浮世絵では、人が演じる足役のままあるいは差金のままに描かれる場合もありますが、実際の動物たちの姿として描かれる場合が多いといえるでしょう。 
描かれた浮世絵から、動物の演技をご覧ください。

◾︎ことば解説
[1] 遠見:小さくすることで遠いとみせる遠近法を用いた演出で、大人が演じた役を子役に替えることで、遠くなったことを表現する。
[2] 黒衣:頭からつま先まで黒一色の衣装で、舞台の演技を補佐する役。
[3] 後見:舞台上で演技を補佐する役。黒衣とことなり顔をみせており、場合によっては鬘や化粧に裃の衣装を着けることもある。

象徴としての動物たち
和歌の世界でも地名と景物を結びつける『歌枕』というものがあるように、動物の取り合わせが意味を持つ場合があります。

例えば“唐獅子牡丹”は、百獣の王とよばれる唐獅子と、富貴の象徴である牡丹と組み合わせることで、吉祥を象徴します。“唐獅子牡丹”が傾城の衣装に用いられると、頂点を極めた傾城であることを印象づけます。

また、『一谷ふたば軍記』の浮世絵に描かれる鳩の図は、鳩が勝利をよぶ神の象徴であるとともに、熊谷次郎直実の紋“鳩八”を表しています。

さらに、伝説の怪物である“鵺”は猿の顔に狸の胴体、虎の手足に蛇の尾をもつと『平家物語』に記されています。芝居のなかでもその想像上のイメージが踏襲され、浮世絵にも描かれます。
動物たちの姿をかりた、イメージの表現をご覧ください。

化身する動物たち
歌舞伎のなかには、想像豊かな世界観をもつ演目もあり、動物たちはファンタジー世界にひと役をかっています。とくに、動物が人間へと化けて登場する物語は、一途にその情を示すためである場合が多くみられます。

『芦屋道満大内鑑』では、助けてもらったキツネが人間へと化けて恩返しをし、『義経千本桜』では、鼓となった親を求める子ギツネが主役です。また、一途さ故に人間が変身する場合もあります。『本朝廿四孝』では、恋しい許嫁を助けるため、八重垣姫にはキツネが乗りうつり、危機を知らせに湖を走ります。

妖術によって、人間が変身する場合もあります。『伽羅先代萩』では、悪事をたくらむ仁木弾正は、証拠となる書状を取り戻すために、鼠に姿をかえて忍び込みます。動物と人間を行き来する登場人物は、その幻想的な演出によって、当時の人々を楽しませたことは間違いありません。


五代目松本幸四郎(明和元年1764〜天保9年1838)
四代目松本幸四郎を父にもち、明和7年1770に市川純蔵の名で初舞台。安永元年1772に三代目市川高麗蔵を襲名。子役から若衆方へすすみ、天明3年ごろより立役となり、和事から次第に実悪として評判を得ていく。

享和元年1801に五代目松本幸四郎を襲名。文政3年1820には、大阪の舞台へ登場し、文政4年には『萩先代名松本』や『侠詞花川戸』などへ出演。道頓堀中の芝居や京都の芝居の舞台をつとめた。天保元年1830に再び来阪し、『助六由縁江戸桜』の意休役など、京阪の舞台へ出演。江戸だけでなく、上方の歌舞伎芝居においても人気を得ている。

五代目幸四郎は“鼻高幸四郎”の異名をもち、その際立った特徴は浮世絵にも強調して描かれている。すごみのある容姿は、『伽羅先代萩』の仁木弾正などを当たり役にした。当時では高齢であった70歳を超えても舞台へ立ち、天保9年5月、舞台へ出演中に倒れて亡くなっている。