第54回企画展

浮世絵 梅づくし
2014年12月2日(火)〜2015年3月8日(日)

今回の企画では、【梅】をテーマに展示を行います。
大阪の地は、江戸時代の「天下の台所」としての役割から商いの町というイメージがありますが、【梅】ともゆかりがあります。古くは古今集仮名序の和歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の「この花」は【梅】をさし、菅原道真を主人公にした歌舞伎芝居『菅原伝授手習鑑』には【梅】のエピソードとともに、大阪の地も登場します。
春に先がけて花を咲かせる梅は、浮世絵に花として登場するだけでなく、衣装の文様や家紋そして役名や役者の名前にまで見ることができます。【梅】にまつわる浮世絵を、どうぞご覧ください。


【菅原伝授手習鑑】は、歌舞伎の三大演目の一つとして、現在でもたびたび上演される人気の芝居です。平安時代の貴族菅原道真をモデルに、太宰府への配流や天神縁起などの物語を、松王丸梅王丸桜丸の三つ子兄弟とからめて上演されます。

史実でも菅原道真は、藤原時平の讒言により謀反の疑いをかけられて大宰府へ流されることになります。梅を好んだ道真は都をたつ際、「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春なわすれそ」と詠み、主人を思う梅は大宰府へと飛んでいき根を下ろしたと伝わります。この伝説は「飛梅」として、芝居のなかにも登場します。

菅原道真と梅のゆかりは家紋にもおよび、北野天満宮をはじめ道真ゆかりの寺社の紋は梅紋となっています。浮世絵のなかで、菅原道真こと菅丞相の衣裳には梅紋があしらわれ、また梅王丸の衣裳にも名前にちなみ梅が描かれるなど、梅づくしの芝居といえるでしょう。
芦ゆき画『菅原伝授手習鑑』芦ゆき画『菅原伝授手習鑑』


加茂堤
菅丞相の養女苅屋姫と帝の弟斉世親王は人目を忍ぶ恋仲である。神社参詣の折、斉世親王の舎人桜丸とその妻八重は、二人を加茂堤にて密会させる。のちにこの密会が露見し、菅丞相があたかも陰謀を企んでいるかのように藤原時平によって訴えられる。

車引き
菅丞相の舎人梅王丸と斉世親王の舎人桜丸は 藤原時平の舎人松王丸は三つ子の兄弟。菅丞相の流罪によって主を失った梅王丸と桜丸は、藤原時平の牛車を吉田神社の境内で襲おうとするが、松王丸に阻まれる。

寺子屋
菅丞相から筆法伝授をうけるも破門中の武部源蔵は芹生の里にて寺子屋を開いている。菅丞相の息子管秀才をかくまっていたが、いよいよ時平の追手がやってくる。そのとき身代わりに差し出した寺子屋の子供は、実はひそかに松王丸が入門させていた松王丸の子小太郎であった。

筆法伝授
菅丞相へ弟子に家伝の筆法を伝授するよう勅命がくだる。左中弁希世は伝授されるのは自分とうぬぼれていたが、女中の戸波との関係ゆえに勘当となっていた武部源蔵に奥義が伝えられる。しかし、源蔵の勘当は解かれることはなかった。

道明寺
菅丞相は太宰府への船出を待つ間、伯母覚寿に別れを告げるために河内国土師へ向かう。出立の朝、宿祢太郎とその父兵衛の策略により偽の迎えがきた後、本物の迎えの判官代輝国がきて、偽の迎えには菅丞相の木像が身替りになっていたことがわかる。太郎と兵衛親子は成敗され、菅丞相は大宰府へと旅立っていく。

東天紅
藤原時平から菅丞相の暗殺を依頼され、宿祢太郎とその父兵衛は伯母覚寿のもとへ訪れている菅丞相を偽の迎えで連れ出そうと計画する。その計画を覚寿の娘で太郎の妻の立田の前に聞かれ、太郎は妻を殺して池に沈める。迎えの合図の一番鶏の声を偽るために、鶏は死体に近づくと鳴く言い伝えから、立田の前を沈めた池に鶏をうかべて鳴かす。

佐太村
父白太夫の七十の賀を祝いに三つ子があつまる日、時平に仕える松王丸と菅丞相に仕える梅王丸が喧嘩を始める。梅王丸は菅丞相のもと大宰府へ行くことを願うが父は聞き入れず、松王丸の勘当の願いは聞き入れる。菅丞相流罪の責任から桜丸は切腹する。

天拝山
静かな日々を送る菅丞相は、安楽寺へ行くと都で愛しんだ梅樹が一夜にして飛んできたという話を聞く。そこへ梅王丸がきて、時平が都で行っている陰謀を聞き、菅丞相は怒りのあまり雷神となって天へと昇っていく。

梅の木の表現
浮世絵に描かれた梅といえば、歌川広重の「江戸名所百景 亀戸梅屋敷」が代表作といえるでしょう。この作品は、ゴッホが「日本趣味・梅の花」として模写したことでも有名です。極端な遠近法を使って手前に太い幹を大きく描き、梅の木の力強さと花の可憐さが、対照的に描かれています。

浮世絵のなかで梅は、まだ寒さがのこる冷たく澄んだ空気のなかで花をつけるため、春爛漫としたなかで咲く桜のやわらかいイメージとはことなり、凛とした美しさや細くともかたい枝の強さが表現されます。ここで紹介する「夜梅美男揃」にも、背景に力強い幹と可憐な白梅をつける梅が描かれ、役者たちの確かな演技とはなやかな魅力を象徴しているようにみえます。
 
梅と名前
現代の【梅】という言葉の使い方のなかには、商品の内容や座席などをランク分けする際に「松・竹・梅」と称し、【梅】は松竹にくらべて劣るあるいは下位であることを意味する場合があります。
もともと「松・竹・梅」とは、中国の画題「歳寒三友」をさしており、冬の寒さの中にも松竹は緑を保ち梅は花を咲かせることから、日本では吉祥の象徴としてもちいられてきました。
歌舞伎芝居のなかで【梅】は、人物の名前に付けられることもおおくあります。また、上方浮世絵によく描かれた三代目中村歌右衛門の俳号が「梅玉」であったことや、「梅国」「芳梅」などの【梅】のつく上方浮世絵師もいました。当時の【梅】に込められた意味もあわせてご覧ください。