【町人の文様 縞】
2014年6月10日(火)〜8月31日(日)
上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で制作されていた浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は、歌舞伎役者たちを描いたものが多く、道頓堀を中心とした芝居小屋をにぎわせた人気役者の姿を見ることができます。
人気の役者たちは、浮世絵に描かれるとともに最新の流行を発信します。舞台に用いた衣裳のデザインは、ファンたちによって着物などへ取り入れられ、庶民の流行へと広がっていきます。浮世絵はその流行発信の担い手でもありました。
そこで今回の展示では、役者たちの衣裳の文様に注目し、なかでも町人の文様の代表格である【縞】文様を特集します。縞文様は、直線だけでなくさまざまな線によって構成され、その組み合わせはバリエーションが多く、豊かなデザイン性を持っています。当時の人々の着物のおしゃれを、ぜひ浮世絵から見つけてください。
春頂斎北松画「夏祭浪花鑑」
縞の成り立ちと種類(縦縞)
【縞】とは、縦縞と横縞だけでなく、線を縦横に交差させた格子も縞として総称されます。格子縞や横縞の起源は古く、平安時代末(12世紀)ごろの絵巻にも縞文様の着物を見ることができます。
室町時代から江戸時代の初めにかけて、「間道(かんとう)」と呼ばれる名物裂が輸入され、茶人たちに縦縞が注目されるようになります。東南アジアの島々で織り出された縞文様が、南蛮貿易を通じて舶載されたことから、「島」から【縞】と呼ばれるようになったといわれます。
江戸時代の初めに輸入されていた「唐桟留(とうざんとめ)」などの縦縞織物は高価でしたが、木綿の普及にともない国産されるようになると、【縞】は多くの人々へいきわたる文様となりました。
町人の文様としての縞(格子)
江戸時代、庶民の贅沢を禁止する法令がたびたび出され、その禁令は着物にまでおよびました。高価な素材や華美な染の着物を禁じられた人々は、単純な線の組み合わせを工夫してできる縞文様を好み、さまざまなデザインをうみだしました。
線の太さや配列および配色によって多くの種類ができる縞文様は、老若男女を問わないことから大流行しました。さらに【弁慶格子】などのように、縞のパターンに名前をつけ楽しんだことから、人気を獲得しようとする役者は自らの名前にちなんだ縞文様を考案するようになります。役者たちを描いた浮世絵は、その流行に一役をかったといえるでしょう。
また、縞文様は着る人の体の線をくっきりと表し、女性の姿態を美しく見せることから、流行発信を担う遊女たちにも好まれました。着る人によって“粋(いき)”にも“野暮(やぼ)”にもなる【縞】は、町人たちのセンスを魅せることのできる文様といえるでしょう。