【歌舞伎の妻たち】
2014年9月2日(火)〜11月30日(日)
上方浮世絵館では、江戸時代の大阪で制作されていた浮世絵を展示しています。大阪の浮世絵は、美人画や風景画も多い江戸の浮世絵とはことなり、役者絵が多いのが特徴です。また、道頓堀は歌舞伎を上演する劇場があつまる地でした。館内の浮世絵は、江戸時代の道頓堀を魅了した役者たちが描かれているといえます。
歌舞伎の魅力の一つに、男性のみですべての役柄を演じるという点があげられます。そのため、歌舞伎には登場する女性を演じる“女方”という演技の形があり、女性の心を表現するために、切磋琢磨がおこなわれてきました。
そこで今回の展示では、女性を演じる“女方”の役のなかでも“妻”に注目します。役者たちは、家族のために苦難に耐え、深い愛情に満ちた“妻”を演じ、人々の心にうったえました。一途な“妻”の心や“母”の心を背負う “女方”たちを、浮世絵からどうぞご覧ください。
春好斎北洲画『けいせい廓大門』
武家女房と世話女房
歌舞伎芝居は、歴史をあつかう時代物と当時の町人世界をあつかう世話物に大きくわけられます。
時代物に登場する“妻”の多くは武家女房であり、武家の女性がする髪型から「片はずし」ともよばれる役柄です。『けいせい廓大門』は、現在あらすじも不明な芝居でありますが、夫と妻がそれぞれ三枚続きの浮世絵となり、その夫婦の絆が筋にかかわることが想像できます。
世話女房は、厳密には時代物のなかの世話場と呼ばれる場面に登場する女房をさします。とくに鳶色の着物に丸く白に染めぬいた石持の紋の「鳶石(とびこく)」が、世話女房の代表的な衣裳として描かれます。
ここでは、きりっとした姿勢やいさましいなかに“妻”の心が見える武家女房と、やわらかな物腰から情の深さが見える世話女房の、たたずまいの違いを見くらべてください。
母として~子別れと身替り~
時代物や世話物の枠をこえて描かれるのは、母が子をおもう心です。子をいつくしむ母の思いとはうらはらに、悲劇が待ち受けている芝居があります。
まだ幼い子供とどうしても別れなければならない親の嘆きをみせる場面を「子別れ」といいます。『芦屋道満大内鑑』では、正体を知られた狐葛の葉が森へ帰っていくとき、命の恩人保名との間にもけた子との別れを惜しむ場面が浮世絵になっています。
さらに「身替り」の場面では、どうしても守らなければならない命とその身代わりとなるわが子への思いとの間でゆれる心が表されます。『一谷嫩軍記』では、かつて恩を受けた藤の方の息子敦盛を救うため、身替りに息子小次郎の首を討つ直実と、小次郎の母相模の悲しみの場面が浮世絵に描かれています。
ここでは親子の別れを通して描かれる“母”の心をご覧ください。
妻として~身を落としても~
歌舞伎芝居に登場する“妻”は、夫のために、家族のために逆境に耐えしのび、あるいはその命さえも犠牲にする姿も多くみられます。
『国姓爺合戦』では、和藤内の父の先妻の娘錦祥女は、夫甘輝が妻の血縁にひかれて和藤内に味方することがないよう自害し、和藤内の母は先妻の娘の死に義理をたてて自害するという、夫や家族が故国を再興するために命を犠牲にすることをいとわない“妻”が描かれます。
『ひらがな盛衰記』では、梶原源太の恋人である腰元の千鳥は、源太が出陣するための金を用意しようとし、身を廓に売り傾城梅が枝になります。夫を世に出すためにわが身を苦界へ落すストーリーは、『仮名手本忠臣蔵』のお軽と勘平夫婦もあげられます。
いずれも、自身の都合からではなく夫のあるいは恋人の立場をおもい、わが身を犠牲にする心が根底にあります。
悪婆
悪婆は「馬の尻尾」という髪型に格子縞の着物という姿が定番となっている。『お染久松色読販』の「土手のお六」は、ゆすりをはかる悪婆であるが、仕えていた家を再興する資金を得るためという忠義の心の持ち主である。
老女方
女方の役柄のなかでも老女の役をさす。古くは中年以上の女性役を花車方と呼んでいた。『天満宮愛樹松桜』と同様の天神記ものである『菅原伝授手習鑑』の覚寿は、時代物の中に登場する老女の代表格である。菅丞相の伯母である覚寿は、娘婿宿祢太郎が丞相の命を狙っていることを知り殺された娘の敵をとる、気丈な“母”である。